たまたま見たディケイドが響鬼ワールドの話で。
あれだけオリジナルキャストを出されちゃ、そりゃ朝から目頭も熱くなりますよ。やっぱオレ、響鬼の世界観が好きだったんだなぁ…。
「暴走した牛鬼の力だけ上手いこと浄化して、響鬼は生還」みたいな都合のいい予定調和にせず、ズバッと殺したとこも良かった。それでこそ響鬼です。
かつてのテコ入れ後半のもやもやを吹き飛ばす、真・最終回とでも呼ぶべき素晴らしい出来でした。
たまたま見たディケイドが響鬼ワールドの話で。
あれだけオリジナルキャストを出されちゃ、そりゃ朝から目頭も熱くなりますよ。やっぱオレ、響鬼の世界観が好きだったんだなぁ…。
「暴走した牛鬼の力だけ上手いこと浄化して、響鬼は生還」みたいな都合のいい予定調和にせず、ズバッと殺したとこも良かった。それでこそ響鬼です。
かつてのテコ入れ後半のもやもやを吹き飛ばす、真・最終回とでも呼ぶべき素晴らしい出来でした。
栗本薫さんが、亡くなってしまいました…
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090527/bks0905271113000-n1.htm
人の生き死ににあまりこだわらない俺ですが、さすがにショックです。
どんだけこの方の本を読み、影響を受けたことか。と言っても、正直グインとかの長編は読んでいないのですが。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090527/acd0905271241003-n1.htm
>長編作品が有名ですが、彼女の作家として本質は100枚ぐらいの短・中編の中で際立っていました。
この高千穂遙氏のコメントの通りだったと思います。
短・中編の切れ味は「天才的」などという言葉すら陳腐なほど、凄まじいものでした。
俺も、そんな文章センスの一端でも吸収できればと思い、小説を書く前にはいつも伊集院大介シリーズやトワイライトサーガを読み返したものです。「――(ダッシュ)」の使い方なんてモロに影響を受けてます。
56歳…あまりにも早すぎる。でも、たぶん56歳が560歳でも、アイデアの全てを書き記すには足らなかったでしょう。
エッセイか何かで、たしかこんなことを書いていたはずです。
「いま思いついているネタをすべて書こうとしたら、とてもじゃないが人生が足りない。だから私は全速力で書き続けるんだ」と。
栗本薫が56、清志郎だって58。では、かれらの人生は薄っぺらかっただろうか?
とんでもない、まったく逆。
50も半ばまで生きれば、人生の長さとしては充分。それだけあれば、人はいくらでも生きた証を残せる。
早すぎる死、もっと生きたかっただろうに、と言われるのは、濃い生涯を生き抜いたからこそ。
そんなことを、最近よく考えます。
「トリコ」のVOMIC(マンガの絵にアフレコしたもの)が面白いです。
http://www.s-cast2.net/vomic/trico/
スティールボールランのときにも感じましたが、優れたマンガというのは、動きやセリフの間をもともと備えてるんですよね。
「声に出して読んでこそリズムが心地よいセリフ」みたいな。
だからこうやって音を乗せただけで、十分にワクワクする映像になる。下手にアニメ化なんてすると、放送枠の長さとか、原作に追いつくとマズイとかの理由で、むしろ間延びしたりするのはよくあること。
その昔「まんがビデオ・覚悟のススメ」というのがありまして、まさにVOMICの先駆けだったんですが、あれも相当良い出来でした。
レアな作品ですが、機会があったら是非見ることをオススメします。
風邪をひいてしまい、ここんとこ寝込んでました。
サイト改装とか、いろいろ懸案事項をやり終えて気が抜けたか?
布団をかぶって汗かくには暑すぎる時期の風邪は、すっきり治る感じにならないのが困り物。いまだに体温調節が無茶苦茶です。
ヨーグルト食べてTシャツが汗ばんだときには、さすがにやってられん気分になりました。
寝てる間にたまってたネトラジをずいぶん消化したんですが、当然その間に番組も次々更新されていくわけで…結局プラマイゼロでした。
単純作業してる時期だと、どんどん聴いて減ってくんですけどね。